学術研究力に直結する大学の資産運用 | レポート | スパークス・アセット・マネジメント

スペシャルレポート 学術研究力に直結する大学の資産運用

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日本の学術研究力の低下という問題

ここ数年、日本の学術的な研究の能力が他の先進国と比べ低下していると報じられています。学術研究は国の発展の基礎となるものですので、心配している人も多いかもしれません。
私は資産運用を業務としつつ、年金基金などの財源の運用をしている、いわゆるアセット・オーナーの業界の調査をしたことがあり*1、学会や大学に出入りして学術研究者と多く交流している、少し珍しい経験を持っています。基礎研究力の向上にはさまざまな提言がされていますが、結局はまずはお金をかけるべきだというものが多く、財源問題が焦点となります。これはつまり、大学のような学術研究を行う非営利団体がどのように財源を確保し運用するのかということなのですが、そうするともしかしたら、私のような経験をした人にしか見えていない論点もあるのではと思いました。基礎研究力の低下というこの問題がなぜこんなに解決困難なのかを述べたいと思います。
学術研究者の方々と話すと「国がもっとお金を出すべきだ」という意見をよく聞きます。しかし、そんなに単純な話ではないということを示すことが本レポートの目的です。このレポートでは解決策は提示できません。それくらい困難な問題です。ただ、これは簡単な話ではないことを学術側の人たち、財源を確保したり支出したりする側の人たち双方が理解し、お互いが議論するときに使える前提知識を提供できればと考えています。

研究力の低下

さて前置きが長くなりましたが、まずは研究力低下に関して少しデータを見てみましょう。文部科学省が作成している"科学技術指標2022"*2によると(図1)、日本のTop10%補正論文数(分数カウント)は、1998年-2000年平均では、アメリカ、イギリス、ドイツに次ぐ世界4位だったのが、2018年-2020年平均では世界12位まで後退しました。ちなみに2018年-2020年の1位は中国で、アメリカ、イギリス、ドイツはひとつ順位を落としています。中国の1998年-2000年平均は13位だったので、大きな躍進です。また、日本が順位を大きく落とす中、アメリカ、イギリス、ドイツが踏みとどまっていることも注目に値します。

科学技術予算は減っていない?

学術研究者の方々はよく「国は研究への支出を減らしているのが良くない」と言います。"科学技術指標2022"*2には、主要国政府の科学技術予算の推移もありますのでこれを見てみましょう。日本の2000年の科学技術予算は3.3兆円くらい、2020年には4.4兆円くらいと、むしろこの20年間で増えています。物価調整後のこの20年間での倍率(2000年を1としたときの2020年の値)で見ますと(図2)、日本1.45倍、アメリカ1.60倍、イギリス1.20倍、ドイツ1.74倍となっており、大きく違いがあるわけではありません。ただ、中国は9.11倍と急激な伸びを見せています。対GDP比率の推移をみると、日本は、2000年に0.61%だったのが、2020年には0.82%と、アメリカは0.71%から0.81%と、日本と大きく水準が違うわけでもないようです。中国は、0.57%から0.99%と大幅に増えていて、中国は単に経済成長したから科学技術予算が増えたわけではなく、割合的にも増やしていることが分かります。

学術研究に必要なものの物価

しかしながら、日本の学術研究者からは学術研究に投入されているお金が減っているという声が聞こえてきます。一見矛盾するようですが、実は矛盾していません。確かに、科学技術予算と言っても、学術研究者へ直接恩恵のある予算ばかりではありませんので、割合的にそのような予算が減っているという可能性はあります。
ですがそれ以前の問題として、先の議論での"物価調整"が適切でなく、学術研究関連の物価の上昇は他の分野に比べ高いため、もっと"適切な"物価調整後で考えた場合、科学技術予算自体が実質的に減っている可能性があります。先ほど、日本ではこの20年間で物価調整後の科学技術予算は1.45倍になったと書きましたが、ここで使った物価調整とはあくまで、全体の物価で調整したものです。学術研究という分野は効率化できる部分がほとんどなく、価格下落が起きる余地がほとんどありません。学術研究分野の物価というものを計測するのは難しいですが、それで調整すれば減っている可能性があります。

データでうかがえる学術研究の物価の伸び

少しデータを見てみましょう。総務省算出の消費者物価指数*3によると、日本の総合的な物価(総合指数)(図3)は1970年から2021年までで3.23倍になっています。この物価の指数は項目ごとに作られています。学術関連の物価を計るのは難しいと書きましたが、近いもので"教育"という項目があります。"教育"は同期間で6.67倍、教育のさらに項目別に分けたものの中にある、"大学授業料(私立大学)"、"書籍・他の印刷物"はそれぞれ、9.54倍、5.59倍と、総合指数より高い伸びを示しています。一方、"家庭用耐久財"は0.49倍と大幅に下落しています。
家庭用耐久財とは冷蔵庫や洗濯機など家庭で長く使うもののことです。これらは生産設備の自動化が進むとともに内蔵されているコンピューターも安くなり、効率的に作れるようになったため価格も下落しました。一方で、書籍や大学の授業は効率化できる部分が少なく、価格の下落はおきませんでした。我々が普段言う"物価"とは、これら効率化されたもの、効率化されなかったものを総合したものを指しています。ここ20年ほどデフレの時代であり物価は上昇しなかったと言われますが、実は"書籍・他の印刷物"は2000年から2021年までに17%も上昇していています(図4)*4。物価が上がっているものもあるのです。家電製品やパソコン、携帯電話など、近年目覚ましい発展と生産の効率化が図られ安くなったものもある一方で、当然このように高くなったものもあるから、物価は総合で横ばいになっている訳です。

物価上昇以上に予算が増えなければ減ったのと同じ

学術研究にかかる物価を計ることは難しいです。上記もいろいろともっと考えるべき点、議論すべき点はあろうと思います。ただ、学術研究は明らかに他のものより効率化が難しく、本質的に他のものより物価が上がりやすいものであることは間違いないでしょう。農業は機械の導入により1人で作れる量が増えました。しかし、1人の研究者が研究できる範囲や論文を書く量は、どんな技術革新があっても簡単には増えません。むしろ、科学の発展により最先端の研究の実験などは大規模化している分野もあり、効率は下がっているとさえいえるかもしれません。すなわち、学術研究分野は他の分野に比べ、物価上昇が大きいと考えるべきでしょう。その上昇した物価以上に予算が増えなければ減ったのと同じなのです。

研究以外の仕事が増えている研究者

"長期のインプット・アウトプットマクロデータを用いた日本の大学の論文生産の分析"*5という分析レポートでは、論文数変化の要因分解という挑戦的な分析を行っています。これによると、論文数の減少の要因は、研究者が研究に使っている時間が減ったこと、つまり研究以外の作業が増えたこと、研究に使う資材への支出が増えていないことをあげています。研究以外の作業をやってもらう人を雇うことができなくなっており、そもそも研究に必要な資材にかかる費用が上がっているのにそれが買えてない、という状況が見えてきます。名目上の予算が減っていなくても、現状の研究を維持できていないことが見えてきます。

アメリカの私立大学:国の予算に頼らない独自の基金

国の支出が日本同様に増えていると言えるかどうか分からないアメリカですが、実はアメリカの私立大学は国の予算に頼っているわけではなく、独自の大きな基金を持つ場合が多いです。これが、日本が研究力を落とす中でアメリカが研究力を落とさなかった重要な要因の1つでしょう。内閣府の"世界と伍する研究大学について(資金関係)"というレポート*6によると(図5)、例えばハーバード大学の収入は2005年に3,081億円だったのが2019年には6,062億円と14年で2倍弱になっているのに対して、例えば東京大学の収入は2005年に1,546億円、2019年に1,855億円と20%程度の伸びにとどまっています。収入の内訳には大きな違いがあり、2019年のハーバード大学は収入のうち39%(すなわち2,341億円)が"資産運用等収入"であり、国からの資金は多くありません。一方東京大学は収入の44%が"運営費交付金"であり、国からの資金に頼っています。
2019年のハーバード大学の資産運用額は約4兆5千億円、イエール大学は約3兆3千億円で、東京大学は150億円でした。日本の場合、最も資産運用額が大きい慶應義塾大学でも783億円です。これらの資産運用額はもともと大きかったというよりは運用で増えていった結果です。後ほどイエール大学を詳しく見てきますが、その数字を見ていくと、2014年の運用額は2兆6千億だったので、5年間で26%くらい増えています。取り崩しつつもこれだけ増えているのです。

大学はなぜ存在するのか?存在維持のために不可欠

イエール大学の基金の運用担当者であったデビッド・スウェンセンが書いた著書"Pioneering Portfolio Management"*7には、この基金がどのような資産運用をしているかだけでなく、第2章に、そもそもなぜ大学が資産運用をする必要があるのか書かれています。大学はなぜ存在するのか?そしてその存在を維持するためには何が必要なのか?それを考えた上での資産運用なのです。というよりも、そもそも資産運用とは目的があって行う手段であって、その目的にあった手段でなければなりません。資産運用には必ず目的があり、目的に応じてやり方が変わってくるのです。イエール大学については後ほど述べるとして、まずは大学の存在理由を考えてみましょう。

大学はなぜ存在するのか?ソクラテスの失敗

もそも大学はなぜ存在するのでしょうか?これをよく理解しておかないと今後の議論が立場ごとにかみ合わなくなります。大学は学術研究において最重要拠点であることに異論はないでしょう。学術研究(アカデミア)の語源となった、アカデメイアは、古代ギリシャの哲学者、プラトンが紀元前4世紀に学校を作った場所の地名であり、この学校こそが現在の大学の源流であると言われています。なぜプラトンは学校を作ったのか、この経緯を見てみましょう*8。
プラトンはソクラテスの弟子です。ソクラテスは民主主義の都市国家、アテネの哲学者です。市民が政治参加していたこのアテネの街角で出会った人たちに、「善い行いとは何か」、「道徳とは何か」といった哲学的な質問を投げかけます。当時はまだ政治、哲学、科学が分離する前ですので、このような問いかけは今風に言えば、政治思想を問うているに近いかもしれません。ソクラテスは人々とのこのような対話からどのようにすれば良い政治ができるのかを探っていただけなのかもしれませんが、人々からは危険な政治的活動であると誤解を受け、結局死刑になってしまいます。

プラトンがデザインした独立して安全な議論の場

プラトンはソクラテスの哲学に感銘を受けていたものの、実験的に行ったつもりの問いが、危険な活動であると誤解されるこの手法は危険であると考えました。そこで、現実の政治とは独立した、安全で自由に議論を行える場をアテネ郊外のアカデメイアに作りました。これが現代の学術研究(アカデミア)や大学の源流です。そしておそらく、この実験の場でうまくいったものを実践的な場へ還元していこうと考えていたのでしょう。つまり、社会の実践的な場から離れて安全で自由に実験的な議論を行う場が学術の、そして大学の源流であり、そこでうまくいったものを社会へ還元していく場なのです。
この役割は現在でも変わっていないと思います。学術界、大学とは、政府や社会から距離をとって自由で実験的な議論を行い、うまくいったものを還元していく、そういう場であるべきでしょう。そして、プラトン自身が哲学者として研究する場を自身でデザインしたように、現在でも、大学の運営、財政戦略、そしてその中核である資産運用を、学術界の人が自ら行うことは、現在でも重要なことでしょう。これは例えば、学会の運営や学術論文の雑誌の運営をどのようにしていくか学術界の人が決めるべきことであるのとまったく同じことなのです。

大学はどう運営されるべきか?基金の必要性

イエール大学の基金の運用担当者であったスウェンセンは、このような大学の性質を考え、資産運用はどうあるべきか述べています*7。スウェンセン自身、イエール大学で博士号を取得していますので、学術界にも理解があり、大学がどう運営されるべきか理解していたのでしょう。
スウェンセンはまず、独自財源の重要性を説明しています。政府など外からの財源は、制限や報告義務などが付きまとい、大学の独立性を阻害すると述べています。学術研究や教育にかかる費用を独自財源である基金で賄うことは、そのまま、学術研究や教育の独立性、そしてその質を決定づけるものであると考えたのでしょう。他から独立し安全な議論の場でなければ、リスクを恐れて研究テーマはありきたりなものしか選ばなかったり、リスクの高い実験的な研究に取り組めば、ソクラテスのように殺されることはなくても、"外部から"は評価が得られなかったりする恐れがあります。独立し安全に研究・教育できること、これを達成するための手段が基金なのです。
興味深いことにスウェンセンは授業料ですら独立した資金であるとみなしていません。授業料に頼ると、学生集めがしやすい研究や講義をそろえることになり、本当に学生に必要な講義をそろえたり、本当にやるべき研究ができなくなったりすると考えているのでしょう。

リスクの高い資産運用:大学の存在維持のために不可欠

スウェンセンは次に、研究・教育にかかる費用の物価は他よりも大きく上昇することを述べています。これはかなり絶望的な事実です。これは先に述べたとおり、研究や教育は効率化できる部分が少ないからです。現状を維持するためには、物価上昇よりも高い割合で支出を増やしていく必要があります。先の日本の例で説明したとおり、これは対GDPでの比率で伸びていても現状が維持できていないことを考えると、おそらく政府予算の伸びよりも研究・教育の物価は伸びていると考えられます。
そうすると、もし研究・教育費を政府に頼ると、政府の研究・教育への支出割合が大きく増えていかない限り現状維持すらできないことになります。限られた政府予算の中で、研究・教育関連だけ支出割合をどんどん増やしていくというのは、なかなか難しいのではないでしょうか。
そこでスウェンセンは、リスクの高い資産運用が、大学の存在維持のために不可欠であると結論づけました。

大学が高リスクの運用ができる理由1:投資期間の長さ

ではなぜ、大学はリスクの高い資産運用に取り組めるのか、スウェンセンはその理由に"投資期間の長さ"をあげています。大学の投資期間は年金よりもさらに長いです。年金は人間の人生のうち労働している期間くらい、長くても50年程度が投資期間となります。この50年間で勝ったり負けたりしても良いけれども、50年後には確実な成果が必要です。
一方で、イエール大学の創設は1701年*9と300年以上の歴史があり、永遠に研究・教育を行っていく前提で運営されています。多少の負けている期間があっても300年という時間スケールで見ればたいしたことではないと言えるのです。そして、アメリカ独立宣言が1776年ですから、アメリカ建国以前から存在しているわけで、政府からの独立性は当然のものとして考えられています。
実は、私が以前書いたレポート*1で年金の運用を解説しましたが、そこで引用した文献*10は、スウェンセンが行っているような大学基金の運用手法を批判しています。2009年のリーマンショック時に、多くの大学基金が、未上場株式などリスクが高く流動性が低い資産を多く持っていたため、損失が大きかっただけでなくリバランスもできない状態になったと批判していたのです。これは、年金が念頭においている50年という時間スケールで見ると、リーマンショック時にリバランスできないことは無視できませんが、大学が念頭においている300年という時間スケールで見ると無視できるということでしょう。実際、イエール大学の基金はすでにこの時の損失を取り戻したうえさらに増やしています。

大学が高リスクの運用ができる理由2:多くの大学があること

これは、スウェンセンは述べていませんが、年金と違って、大学基金が資産運用に失敗しても1つの大学が消滅するだけで済むというのもあるでしょう。確かに、年金も地域や職域に分かれていますが、その地域や職域の退職者全員の年金が失われる恐れがあります。年金は、50年という時間スケールでは、巨額な損失を出すことは許されない、そういう存在なのです。一方、大学の場合は、基金の運用に失敗しても、学生は数年間そこに通っているだけで卒業後に金銭的に世話になっているわけではありませんし、大学で働く人たちが失業する以上の損失はありません。どちらかといえば、一企業が倒産する場合に近く、年金に比べ社会に与える影響は小さいと言えます。
年金は世界経済の発展に参加するという考え方で運用されています。世界経済の発展の一部を享受するのです。一方、大学はそれ以上の成果が必要とされています。世界経済の発展速度より研究・教育にかかる費用の増加は速いかもしれないからです。大学はそもそもの設立目的である、自由で実験的な研究の場であるように、基金運用に関しても実験的で挑戦的なものが求められているのです。果敢にこれに挑み勝った大学だけが、次の数百年生き残ることができる、そのような意気込みで基金運用すべきなのかもしれません。
実は、スウェンセンは財政戦略に失敗した大学の例も取り上げています*7。この大学は新興宗教の関連団体に乗っ取られたものの存続しているそうです。恐らく、その宗教から独立した自由な教育や研究はできなくなっているでしょう。スウェンセンがあえてこの事例を出しているのは、基金運用は大学が生き残るかどうかをかけた、避けることができない戦いであることを示したかったのだと思います。

研究力がある大学が多く存在することの重要性

これまで見てきたように大学は独立して自由に運営されるべきであり、中には失敗する大学もあらわれます。失敗を恐れた無難な運営では現状すら維持できない可能性も示しました。そうすると研究力のある大学が多く存在し、個々の大学は果敢に挑戦を続けることが重要だと分かります。研究力のある大学が少数だと果敢な挑戦ができません。
先ほど、日本は論文数ランキングで順位を下げている一方、イギリス、ドイツが下げていないということを書きました。"研究論文に着目した日英独の大学ベンチマーキング2019"*11というレポートによると、日本とイギリスまたはドイツの大学を比べると、各国の上位6-7までの大学は日本の方が論文数が多いが、それ以下から40位くらいまではイギリス、ドイツの大学の方が論文が多いことが示されています。つまり、研究に注力している大学の数が日本は少ないのです。このように特定の上位大学に集中しておらず、多くの大学が多様で挑戦的でリスクの高い大学運営を行っていることが重要なのでしょう。

イエール大学の基金の状況

イエール大学は実際にどのような基金運用を行っているのでしょうか。イエール大学の基金のホームページに掲載されたレポート*12によると、2021年の運用額は約423億ドルで、この年のリターンは40.2%でした。この年、大学の運営費として基金から15億ドルを支払いました。これは、この年のイエール大学の全収入の33.3%に相当します。
1997年の運用額は58億ドルだったのでこの24年間で7倍以上になっています(図6)。毎年運営費への支払いがあったうえでの基金の増加は高いリターンによってもたらされています。この24年間の各年のリターンの平均は13.7%で、基金から平均4%支払っても、基金は増加しているのです(図7)。この増加により、大学への支払額を年々増やすことができており、24年前の8倍近くの額を支払うことができています(図8)。これは恐らく、研究・教育の物価上昇を超えた伸びでしょう。

イエール大学の基金はどのような運用をおこなっているか?

これらのレポート*12やスウェンセンの書籍*7には、イエール大学の基金がどのように運用をされているのかが書いてあります。2020年の資産配分を見ると一番多いのは、"ベンチャーキャピタル"で22.6%を配分しています。二番目が"絶対リターン戦略"で21.6%、三番目が"レバレッジドバイアウト"で15.8%を配分しています。
多くの年金が最も配分するのは世界の上場株式で、通常は4割から7割くらいを配分します。しかし、イエールの基金は、米国上場株式を2.3%、米国以外の上場株式は11.4%と、全部で13.7%しか持っていません。年金とは大きく異なるポートフォリオを構築しているのです。
"ベンチャーキャピタル"は未上場のベンチャー企業に投資するものです。"絶対リターン戦略"は、企業合併や民事再生手続き入りなど特定のコーポレートファイナンス取引の成否に賭けるイベントドリブン戦略、買い持ちと空売りを組み合わせて市場全体の影響を減らしたロングショート戦略などのことです。レバレッジドバイアウトは借り入れで得た資金で特定の未上場企業を買収して保有する戦略です。

主要3戦略の共通点:市場と関係なくアクティブ運用次第

イエールの基金が多くの資産を投じているこれら3つの戦略に共通していることは、流動性が低く市場全体のリターンを示す指数が存在しないことです。指数が存在しないので当然、指数に連動するパッシブ運用もできません。すべてアクティブ運用です。そして、いずれの戦略も年金が好む"世界の経済発展の一部を享受する"ものではなく、市場全体の動向とは関係がない絶対リターンを追求する戦略になっています。
そのため、高いリターンが得られるかどうかは、市場動向とはあまり関係なく、アクティブ運用がうまくいくかどうかが多くを決めるのです。運用結果についての説明が難しく、対外的な説明が重要な年金などでは主要な戦略としては持つのが難しい戦略です*13。プラトンが学術研究の理想の場として作ったアカデメイアのような、安全で独立した場でなければ、主要な戦略として据えるのが難しい戦略なのです。
そのかわり、どんな市場環境でも高いリターンを得られる可能性があります。研究・教育の物価上昇は他のものよりも高いので、どちらにしても市場並みの上昇では追いつかない可能性があります。それ以上を目指すのであれば、このようなリスクの高い戦略に投じざるを得ないともいえると思います。

高いリターンを生み出すアクティブ運用会社を見つける能力

イエールの基金自身がアクティブ運用を行っているわけではなく、外部に委託しています。つまり、イエールの基金がうまくいくかどうかは、これはすなわちイエール大学が生き残れるかどうかということですが、高いリターンを生み出すアクティブ運用会社を見つけ出せるかどうかにかかっています。スウェンセンはこれを行うための人材を集め、組織を作っていったのです。スウェンセンの書籍*7ではどのような組織であるべきか詳細に述べていて、その中で"挑戦を通じて新しい失敗を見つけることを称賛するのだ"と述べています。これはまさに、アカデメイアに通じるものがあります。これが今日のイエール大学の成功を導いたと言えるでしょう。

日本の大学はどうすれば良いのか?

さて一方で、日本の大学はどうすれば良いのでしょうか?日本の場合、明治維新において国が欧米に追いつくため、研究・教育機関として大学が作られた経緯があります。日本でトップ校と言われる大学に国立大学が多いのはその名残でしょうし、国の予算に頼っている大学が多いのも、このためでしょう。このような経緯からして、欧米に追い付いた今、もう大学の設立当初の目的は達成し、次の段階に入らなければならないのかもしれません。追いつくのと追い越すのでは、まるでやるべきことが違うかもしれないのです。そのやるべきことが、アメリカの私立大学と同じようなことなのかどうか分かりません。当初の役目が終わり、次の役目を果たすべきということで、国立大学は2004年に独立行政法人化したのだと思いますが、これまで述べてきたような課題が解決したとは言い難いです。
とはいえ、全体的な傾向はそうだとしても、個々の大学を見ると期待できる大学もあると思います。そもそも大学は個別で独立して自由に運営される場です。大学運営は国の政策だけで決まるわけではありません。ではどうすべきか、その答えはこのレポートでは出せませんが、学術研究に携わっている人たちが、大学の運営に関して大いに議論すべき、ということは間違いないでしょう。その議論の出発点としてこのレポートが少しでも役立てば幸いです。

世界はどうなっていくのか?

学術研究の物価は他よりも大きく上昇すると述べました。そうすると、経済活動のうち学術活動が占める割合はどんどん増えていくことになります。学術研究に従事する人の割合も増えていくでしょう。それはおかしいのではないかと思われる人もいるかもしれませんが、例えば中世までは農業に従事する人が大半だったわけで、産業革命という効率化で工業に従事する人が増えました。工業も効率化が進み次にあらわれたサービス業に人が移っていき、そのサービス業も効率化されれば、次は考える仕事の人が増えるのが当然でしょう。学術研究は効率化する方法がまったく見いだせてないので、労働者が集まってくる最後の場所になるかもしれません。
大学だけが学術研究をする場ではありません。企業や政府関連団体、NGOなど、あらゆる場で学術研究が行われています。それはますます広がっていくでしょう。
プラトンがアカデメイアに学校を開いて以降、学術研究は人類の発展の基礎を与えてきました。アテネがローマに支配され中世に入ると、独立した自由な議論ができる場が失われ、暗黒の中世を迎えます。もちろん、暗黒の中世の間にも学術的な発展はありましたが、例えば哲学では、聖書やアリストテレスの注釈が多く*14、ルネッサンス以降の自由で独創的な発展に比べれば物足りなかったものであることは明らかでしょう。
学術研究の発展が社会体制を発展させる側面もありますが、独立した自由な議論ができる場を保証する社会体制が学術研究の発展を可能にする側面もあります。学術研究と自由な社会体制は人類の発展に必要な両輪なのです。今後、このどちらも失わないように気を付けていかなければならないのです。


*1 例えば以下のようなレポートを書きました。
水田孝信、"アセット・オーナーが行っている投資:"悪環境期に耐える"と"ユニバーサル・オーナー""、 スパークス・アセット・マネジメント スペシャルレポート、 2019年9月18日

*2 文部科学省 科学技術・学術政策研究所, 科学技術指標2022, 調査資料-318, 2022年8月

*3 総務省,2020年基準消費者物価指数 長期時系列データ 品目別価格指数 全国年平均

*4 "教育"の物価は不景気時に学校や塾をやめたりするため、価格というよりは学ぶ人の数が減るため物価指数は下落する傾向にあります。そのため、2009年のリーマンショック時、2020年のコロナ禍により下落しています。コロナ禍では塾の休校などの影響も大きいと思われます。そのためここでは、この影響を受けにくいと考えられる研究・教育関連項目として、"書籍・他の印刷物"を取り上げました。

*5 伊神正貫, 神田由美子,村上昭義, "長期のインプット・アウトプットマクロデータを用いた日本の大学の論文生産の分析", Discussion Paper Series,180,文部科学省 科学技術・学術政策研究所, 2020

*6 内閣府,第2回世界と伍する研究大学専門調査会,"世界と伍する研究大学について(資金関係)", 2021

*7 David F. Swensen, "Pioneering Portfolio Management : An Unconventional Approach to Institutional Investment", Fully Revised and Updated, Free Press, 2009
邦訳版:大輪秋彦 監訳, "イェール大学流投資戦略低リスク・高リターンを目指すポートフォリオの構築", パンローリング, 2021

*8 こちらを参考にしました。 納富信留, "プラトンとの哲学 対話篇をよむ", 岩波書店, 2015

*9

*10 Andrew Ang, "Asset Management: A Systematic Approach to Factor Investing", Oxford University Press, 2014.
邦訳版:坂口雄作, 浅岡泰史, 角間和男, 浦壁厚郎 監訳, "資産運用の本質:ファクター投資への体系的アプローチ", 金融財政事情研究会, 2016.

*11 村上昭義, 伊神正貫, " 研究論文に着目した日英独の大学ベンチマーキング2019-大学の個性を活かし、国全体としての水準を向上させるために-", 文部科学省 科学技術・学術政策研究所, 調査資料, No. 288, 2020

*12

*13 年金は大学の基金より運用額が大きい場合が多いので、流動性が低いこれらの戦略では年金にとって十分な金額の投資先がないというのもあります。

*14 こちらを参考にしました。
伊藤邦武, 山内志朗, 中島隆博, 納富信留 責任編集, "世界哲学史", 3巻-5巻, 筑摩書房

当レポートは執筆者の見解が含まれている場合があり、スパークス・アセット・マネジメント株式会社の見解と異なることがあります。
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