世界的な株式の決済期間短縮化:T+1への世界統一と即時決済の導入 | レポート | スパークス・アセット・マネジメント

スペシャルレポート 世界的な株式の決済期間短縮化:T+1への世界統一と即時決済の導入

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さらに進んでいる決済期間短縮化

3年ほど前に株式の決済期間短縮化について書きました*1。株式の決済期間とは取引所で注文が成立(約定)してから株式とお金の交換(受渡)までの期間のことで、日本の場合だと2営業日後に行われます。このことを"T+2"と表記します。先のレポートでは世界的に"T+1"、つまり約定後1営業日後に受渡を行うことが広がる可能性を指摘しました。

あれから3年たち、まずインドが完全にT+1へ移行しました。その後、米国、カナダ、メキシコでT+1となりました。そして、その進展は予想より早く、先進国、発展途上国に関わらず多くの国や地域でT+1へ移行したり移行の検討が発表されたりしました。日本でも金融庁でT+1への移行に関する議論が始まっています*2。決済期間の変更は、例えば日本では2019年に約70年ぶりに変更されるなど、短期的には進展がない分野だと思っていたので、この進展の速さに驚いています。

今回は、前回のレポート執筆後から起きたことに絞って述べていきます。なので、決済期間の歴史や米国議会を巻き込んだ議論(ゲームストップ株事件)などは前回のレポート*1を見ていただけると幸いです。現在、T+1のみならず、T+0や即時決済化の検討も世界的に始まっています。T+0は取引が終了した後その日の夕方に受渡するもので、即時決済は約定と同時に受渡も行うものです。前回のレポートでも述べたようにこの分野の最先端を走っているのはインドですが、そのインドが試みているT+1と即時決済の両方を維持する2市場化についても述べます。私はこの2市場化が世界標準になると予想していますが、この方式には多くのメリットがあり、デメリットが意外に少ないことも述べていきたいと思います。

決済期間短縮化のメリット・デメリット

決済期間短縮にはメリット・デメリットがあります。前回のレポートにも詳しく書きましたが、以下の議論にも関わってくるので簡単に復習しておきましょう。決済期間が長いと決済までの間、つまり約定から受渡までの間に、取引相手が破綻した場合などに受渡ができなくなる可能性、つまり決済リスクがあります。ほとんどの先進国では、実際にはそのようなことは起きないように決済機関などが間に入っています。しかしそれでも、取引を取り次ぐ証券会社はその機関へ決済期間分の価格変動分の証拠金を預けないといけません。この金額が大きすぎて買い注文の受付を停止したネット証券が問題になったのが、まさにゲームストップ株事件でした(当時米国はT+2)。これも広い意味で決済リスクと言えるでしょう。決済期間が短ければ証拠金が小さくなり、買い注文の受付停止をせずに済んだはずだと、この議論が議会で取り上げられ、米国はT+1に移行するきっかけとなったのです。

決済期間の短縮のメリットは、まさにこの証拠金の削減による決済リスクの削減で、即時決済なら理論的にはゼロにできるかもしれません。システム上の困難はあるにしても投資家から見るとメリットしかないように見えますが、海外から投資する機関投資家の場合はデメリットがあります。機関投資家が海外に投資する場合は、ファンドや口座がある国の証券会社や受託銀行、それとは別の投資先の国にある証券会社や受託銀行と、国境を越えてさまざまな機関とやり取りをしないといけません。もちろんいずれの機関も現地が昼間の時にしか作業を行わないので、特に時差が大きい場合はひとつの処理が長時間かかる場合が発生します。そのため、T+0などの極端に短い決済期間の場合、まったく取引ができなくなる可能性すらあるのです。T+1でも事務手続きが大変であると言われてきましたが、T+1なら約定から決済まで24時間あり地球上のどこであったとしてもその間に必ず昼間がやってくるので、さまざまな工夫を重ねて何とか取引ができるようになってきています。しかしT+0の場合は、どんなに工夫を重ねても取引できないファンドの国籍と投資先の国籍の組み合わせが発生すると言われています。

つまり、T+1までの短縮化はシステムや事務手続きに工夫が必要であるが海外の機関投資家も取引可能であり、決済リスクも削減できるので、世界的にT+1までは短縮しようという動きになっているのです。しかし、これ以上の短縮は海外の機関投資家が取引不能になるケースが考えられ、一方で、国内の個人投資家は決済資金も株式も、取引を行う証券会社が預かっているので即時決済でも可能です。即時決済が可能な国内の個人投資家にとっては最も決済リスクが低い即時決済が良いのです。つまり、T+1が良い投資家と、即時決済が良い投資家がいて、取引所としてはどちらにするかジレンマを抱えているのです。

続々と行われているT+1への移行宣言

2022年2月から一部の銘柄でT+1を始めたインドは20231年に全銘柄がT+1となりました*2。その後、20237月よりロシアで*320245月に米国、カナダ、メキシコでT+1になりました*2*4EUや英国、オーストラリア、シンガポール、香港でも検討開始を表明しています*2。そして、日本でも金融庁で議論が始まっています*2。そのほかの国でも、チリ、コロンビア、ペルー*5、アルゼンチン*6、パキスタン*7などがT+1への移行の議論を始めています。まさに、世界中でT+1への移行を進めているのです。

T+1と即時決済の両市場を作るインド

インドでは202312月に、現在あるT+1の市場に"加えて"、即時決済市場を作ると発表しました*8。つまり、T+1からさらに短縮化するのではなく、それとは別に短縮化された市場を別に作るというものです。この方式は画期的で、T+1でしか取引できない海外の機関投資家はT+1市場で取引を行い、決済リスクを削減したい国内の個人投資家は即時決済市場で取引を行えばよいのです。両者の長所を残しつつ両立させる、画期的な方式と言えるでしょう。T+1化でも一番初めに導入したインドですが、またもやこの新方式の導入により、株式決済分野で世界最先端を走っていると言えるでしょう。実はインドでは元々、多くの銘柄がボンベイ証券取引所とインド国立証券取引所の両方で多く取引されており、投資家は市場が分かれていることに慣れています。さらに決済期間で2つに分かれても抵抗が少ないのかもしれません。

2024年3月より25銘柄に絞って試験的にT+0市場を加えていますが、202412月現在、T+0市場ではほとんど取引は行われていません。高速取引業者にマーケットメイク戦略*9を行ってもらったりするなど、今後は取引増加策がとられるかもしれません。ちなみにこのT+0市場はいずれ即時決済へ移行することが計画されています。

しかし仮に取引が増えたとして、2つの市場に分かれてしまって株価は同じになるのかという疑問が出てくるでしょう。価格の乖離が大きいと混乱を招くかもしれません。両者の株価に乖離が起きたときにその差を利益とする裁定取引*9がどれくらい実行できるのかが、両市場の株価が連動するかどうかにかかってきます。

T+1市場と即時決済市場の裁定取引

T+1市場と即時決済市場の裁定取引はどのように行われるでしょうか?

(1) 即時決済市場が安く、T+1市場が高い場合(1)

この場合は簡単です。まず、即時決済市場で株式を買います。この時、お金がない場合はお金を借りてきます。即時決済市場では株式が即時に手に入るので、その株式をT+1市場で売ります。翌営業日になったらお金が手に入るので、お金を借りている場合は翌営業日に返します。これで両市場の価格差分だけ儲かります。この裁定取引は価格差がなくなるまで繰り返されるので、両市場の価格は同じになります。

(2) T+1市場が安く、即時決済市場が高い場合(2)

この場合は株式を借りてくる必要があります。まず、T+1市場で株式を買います。この場合は、お金がなくても借りてくる必要はありません。支払いは翌営業日ですから。一方で、株式は次の日にしか手に入らないのですが、価格が変わる前に売らないといけないので、売るための株式を借りてきます。借りてきた株式を即時決済市場で売ります。即時決済では即座に株式を渡さないといけないので株式を借りてくる必要があるのです。そしてお金が即座に手に入るので、翌営業日にT+1市場で支払いを行います。また、T+1市場で翌日に手に入れた株式を使って、借りてきた株式を返します。

(1)は両市場に参加できる投資家であればいつでも実行できるのに対し、(2)は株式を貸してくれる人がいない限り実行できません。つまり、貸株市場が十分にないと実行できないのです。インデックスファンドは保有銘柄を貸株市場に貸しだすことがよくあります*10。つまり、有名なインデックスに採用されている銘柄は比較的多くの貸株が流通しているため、(2)による裁定取引が良く行われ、両市場の株価は連動しやすいでしょう。有名なインデックスに採用されていない銘柄は(2)が行えないので、T+1市場は安い状態が続く可能性があります。

とはいえ、両市場に参加でき、かつT+1か即時決済かにこだわらない投資家はわざわざ高い方の即時決済で買うとは考えられないし、わざわざ安い方のT+1市場で売らないでしょう。このような投資家がある程度取引をしていれば株価の連動性は高まるでしょう。また、何かしら他の目的で多くの銘柄を保有している投資家であればわざわざ株式を借りなくても(2)の裁定取引を行うことが可能です。

まとめると、両市場に参加して決済期間にこだわらない投資家が多ければ連動するでしょう。有名なインデックスに採用されている銘柄であればさらに連動すると思われます。そのため連動性は大きな問題にならないと考えられます。即時決済市場の取引が増えるかどうかの方が問題です。

インド方式が世界に普及するか?

日本の個人投資家は決済期間への関心が高くありませんが、米国のように個人投資家が熱狂的に即時決済市場を求めている国もあります。インドではまだそのような要望が少なくT+0での取引は少ないですが、T+0や即時決済市場への需要が高ければ、優れた方式になると考えられます。両市場で取引できる参加者がある程度いれば株価の連動も問題なく行われるでしょう。米国のように個人投資家が即時決済を求め、機関投資家がT+1の維持を求める国や地域は今後も出てくるでしょう。そうなれば、両者のニーズを両立できるインド方式が少しずつ普及するのではないかと考えられます。

 世界的な株式の決済期間短縮化は、おそらく、T+1への世界統一まで進むでしょう。そして、T+1と並行して即時決済市場を導入するインド方式がどれだけ世界に普及するか、これが次の注目点となるでしょう。


*1 水田孝信、"世界的な株式の決済期間短縮化:T+1への統一が進むか?"、スパークス・アセット・マネジメント スペシャルレポート、 202247

https://www.sparx.co.jp/report/detail/304.html

*2 金融庁 金融審議会 市場制度ワーキング・グループ、第28

https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market-system/siryou/20240524.html

*3 Global Exchanges, "RUSSIA: MOEX Switches to a Single T+1 Trading and Settlement Regime", 2023/6/5

https://globalexchanges.com/135534/

*4 日経ヴェリタス、"米証券「決済1日」の波紋 リスク低減へ各国が期限短縮"202462日号

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB2459Q0U4A520C2000000/

*5 Global Custodian, "Chile, Colombia and Peru commit to T+1 in 2025", 2023/11/29

https://www.globalcustodian.com/chile-colombia-and-peru-commit-to-t1-in-2025/

*6 Global Custodian, "Argentina aligns T+1 switch date with US and Canada", 2024/3/15

https://www.globalcustodian.com/argentina-aligns-t1-switch-date-with-us-and-canada/

*7 Global Exchanges, "PAKISTAN: NCCPL Roadmap to T+1 Settlement Cycle", 2024/1/17

https://globalexchanges.com/137625/

*8 Securities and Exchange Board of India, "Consultation paper on 'Introduction of optional T+0 and optional Instant Settlement of Trades in addition to T+1 Settlement Cycle in Indian Securities Markets'", 2023/12/22

https://www.sebi.gov.in/reports-and-statistics/reports/dec-2023/consultation-paper-on-introduction-of-optional-t-0-and-optional-instant-settlement-of-trades-in-addition-to-t-1-settlement-cycle-in-indian-securities-markets-_80204.html

*9 水田孝信、"高頻度取引(3回シリーズ第1回):高頻度取引とは何か?"、スパークス・アセット・マネジメント スペシャルレポート、 201943

https://www.sparx.co.jp/report/detail/314.html

*10 水田孝信、"信託報酬ゼロの出現~コスト以上に重要なこと"、スパークス・アセット・マネジメント スペシャルレポート、 2018117

https://www.sparx.co.jp/report/detail/312.html


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